思考飛躍110622

“勉強して成績を上げることも、スポーツの試合で勝つことも、商売で成功してお金を儲けることも、会社で出世することも、すべて、誰かから搾取した幸せなのだ。どこかで誰かが不幸になっているのである。”
“どこに「不謹慎」の境界があるのだろうか?”
“社会のため、正義のため、などと言い訳をするのは悪いことではない。だが、本心からそれを信じているのなら、明らかに偽善だ。そんな精神が本当に多数存在するならば、警察も、政治家も、教育者も、すべてボランティアだけで組織できるだろう。”

森博嗣「数奇にして模型」P184

“偽善が悪いとはいわない。心が優しいだけの人よりも、偽善であれ親切な人の方が、社会の多くの人は助かる。問題は、その自覚である。”

森博嗣「議論の余地しかない」P13

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 物事に対して自覚するということは重要なポイントであり、その自覚によってある程度までのカテゴライズによる障害というものは突破が可能である。
 世の中に、本当の意味での正しいこと、善いことというのは存在しない。あるのは、それを主観から相互に規定し合う中で出来上がっていくカテゴリであって、事実は事実でしかない。誰かしらが「それはそうである」と規定しない限りは、「それ」は何でもない存在。
 自覚は自分が触れる事物や自分が選択する行為に対して、明確な主観あるいはある程度の「客観性」をもって規定を行うことの前提要素であり、その有無で他者への説得も説明もしえない。自覚無き行動は、おおよその場合において、突き詰めてしまえば自己満足であり、偶然による結果以外では何ら影響を及ぼさない。

 今日本で起きている色々な問題の根本部分、「それはそうである」と日本人の大多数が考えて(と社会で思われて)いて、且つ現代社会に沿わないことを変えるには、多くの人たちがその部分において自覚的に解決する努力が必要なのではないだろうか。
 勿論そのためには政治,教育,経済とおおよそ社会における全ての部分でやり方を改めて考えなくてはならないし、現実においては「非現実的である」と一蹴されても仕方ない考えではある。しかしながら、なるべく早くにそうした問題を解決しなければ、次の問題が現れた時には、また今まで積み重ねられ放置されてきた根を同じくする問題も一緒に表出してくるだろう。
 世の中は様々な形でループすることが多いが、どこかで悪循環は断ち切らなくてはならない。
 さて、具体的に我々、今まさに生きている人は、何が出来るだろうか。

などとぼんやり思考を飛躍させつつ。今日は寝ましょうかねェ。

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